十和田市の旧笠石家住宅~奥入瀬(おいらせ)渓流へ。
有休もらったんで普段は込み合う奥入瀬の様子を見に行くことにした。
新緑の季節はやや過ぎたがまだいけるでしょ!
十和田市から十和田湖へ向かっていく途中、いつもはスルーしていた「旧笠石家住宅」の青い看板に吸い込まれていく。
閑散とした集落を行くと、茅葺の屋根が見えてくる。わくわく。
その隣に十和田市民俗資料館もある。
係員のお母さんに受付を済ませ、資料館から見て回る。
農家の暮らしに重点が置かれており、農機具、炊事道具、なぜか軽機関銃弾のポーチが展示されている。
私はこのような「手垢のしみ込んだつやのある木材」がたまらなく好き。
これは使い込まないと出せない鈍い輝き。展示されている農機具は非常にいいつやでした
。
炊事道具。かまど、泥を固めて作ったボコボコのものをイメージしていたのだが、
ものすごい滑らか。
土壁にしろ、このかまどにしろ、立派な複合材ですよね。
奥(入り口側)のパネルに農家の方の写真があるのだが、フィルムで撮られたであろう写真は実に暖かい。
猫ちゃんが勝手に出入りして我がもの顔。近所の猫だそう。触りたいけどアレルギーで触れないのよ。
いよいよ茅葺屋根のお宅、「旧笠石家住宅」へ。
https://www.city.towada.lg.jp/bunka/bunka/minzokushiryoukan.html
文化財というと、豪商だの、当主だのの立派な住宅が保存公開されていることは多いが、ここは普通の農家が保存されているところがポイント高い。
江戸時代末期のもの。
生活している間に、間取り増やしたり、増築したりされていたようですが、
修理時に建築当時に戻したそうです。
ここに最後に住んでいた笠石さんらは90代は健在で今は施設に入っているらしい(3年前の情報とのこと)。
建物ってどこにでもあるけど、どうやって建っているのかよくわからない。
基礎もそうだし、柱と梁がどうやってつながれているかもわからない。
昔の家は比較的それらがむき出しなので、構造を観察するにはもってこい。
青森県には魅力的な建物が(特に納屋)多いのだが、眺めていると完全に不審者な今日この頃。
建物の修理(分解補修組み立て)完了が昭和51年。
葺き替えは平成8年(25年前)と記載されている。
新郷村に多い納屋と似ている。柱に横板を差し込んで、くさびを打ち込む。
これで台風に耐えてきたのだから面白い。
手前のスリッパが並ぶのが「にや」。ここで屋内作業をしたんだろう。
奥に一段上がると囲炉裏とかまどがある。ここを「だいどこ」という。
天井の高い居間。いろんな柱が縦横無尽だ。なぜ崩れないのか。
昔の人がどうやって設計して、どうやって切り出して、どうやって組み立てたのか知りたい。
「だいどこ」の囲炉裏。この家にはかまどが一つしかない。かまどで汁ものを作ったとして、焼き物は囲炉裏でするのか。え?ご飯はどうするんだって?
日本昔ばなしでは囲炉裏に狸鍋、串に川魚だったな。とすれば、かまどで米を炊ける??
昔の生活をタイムスリップしてみてみたい。
家の防虫・防水性を高めるために毎日火をくべるそう。非常に良い。
栗の木の床。つやつやですよ。
波打つような文様が入っているのだが、「チョウナ仕上げ」というらしい。
チョウナ(チョンナ)という横斧で畑を耕すように削るとこのようになるらしい。
規則正しく並んでいるが、人間味を感じられる。
柱もそうらしいのだが、ちゃんと見てこなかったのを後悔。
馬屋。いろんな農機具(主に木製)が乱雑に置かれている。くべる薪も。
昼間というのに差し込む光は馬が顔出すあそこからだけで、中は真っ暗。
丸い柱は馬をつなぐも為のもの。
この馬屋が建物1/3を占めているんだって。
機械のない時代は馬が大切だったんですね。
居間にあたる「じょい」。
さっきのかまどがある「だいどこ」で十分リビングしていると思う。
どう使うんだろ。家具がない今では想像ができない。。
自在鉤。たしかに伸び縮みする。竹馬のステップみたいなのが傾いていることにより、伸びるのを抑えている。
「ねま」か「物置」どっちかの写真。同じような感じだからわかんなくなっちゃった。
ねま=寝間なんだろうけど、上の写真の通り壁板に隙間がある。また、仕切りはあっても、天井が吹き抜けになっており、通気性は抜群のハナマル。ここは豪雪地帯なんですが、、、。
とにかく、昔の人は我慢強いな。今の生活がいかに快適か、改めて感謝したい。
いいものが見れた。
奥入瀬渓流に入ります。
平日というのにちらほら人がいます。
俺もその一人か。
どうもc-plフィルターの使い方がうまくない。反射を消せばいいってもんじゃんないみたい。勉強せねば。