ゴールデンウィークを振り返る。
家でお茶を作っているのは前述の通り。
別に出荷しているわけではなく、我が家で飲む分だけつくているのである。
自分が小学生のころまではもうちょっと規模が大きかったのだが、「めんどくさい」との理由で規模縮小となった。
お茶摘は手摘みが一番。だが「めんどくさい」が理由で規模縮小した私の家ではそれは通用しない。
茶鋏の登場だ。
年に一回の登場だけに切れ味は保証できない。
「研ぎ方知ってるか?」
というなり、汚い包丁を出してきてくれた。
とりあえずやってみたが、刃の向きが逆だった。刃を自分側に向け押して研ぐのがいいらしい。
やすりがけなんかが好きな私にはすてきな時間で、最後に「お前の包丁は切れすぎて怖い」とお褒めの言葉までいただいた。じいじは特にうまいようで、父の目標はじいじなんだな、と思った。
切れ味はよかった。だが使用者が悪かった。
父も母も「カチャン、カチャン、カチャン」と甲高い音をリズミカルに繰り返す。
自分が持つと「ジョクン、ジョクン」とぶった切っているのがよくわかる。後ろを振り返ればギザギザの尾根が続いていた。
「お茶がもったない」とまで言わせたテクだ。しばらくは治らんだろう。
一時間も持つと握力がなくなった。おばあちゃんの出してくれたお茶が、いうこと聞かない手でプルプル震えた。
小さいころ見た茶鋏という大人の武器は、こんなではなかった。
こいつも一年にこの時期しか使われない秤(はかり)で、茶工場の看板娘的な存在。出迎えてくれるのはこいつだけ。
昔からこの秤が好きだった。(今回撮影できてよかった)
ここで持ち込み重量を量るわけだが重量によって支払金額が変わるのでみんな真剣だ。
ベルトコンベア。ここにお茶っ葉を流し、機械に任せる。これ以降の工程は今も昔も謎のまま。
ひんやりしたコンクリートの上で製茶を待つお茶っ葉はなんだかシュンとしている。
茶摘みの時期の雰囲気は良い。
本屋はおろかコンビニもない町だけど、帰るところがここでよかったなぁと思う。
住むのは大変不便だが。